東汐入川緑道公園は丸亀城の外濠を埋め立て作られた緑道公園です。
東屋、トイレ、ベンチ、鉄棒、砂場、今時珍しい電話ボックスがあり地域住民の憩いの公園です。
※全ての情報は最新ではない可能性があります。お出かけ前に必ず公式情報をご確認下さい。
東汐入川緑道公園 基本情報
かな | ひがししおいりがわ りょくどうこうえん |
住所 | 丸亀市土居町三丁目992番地13 |
設備 | 砂場、東屋、トイレ、自動販売機、電話ボックス、手洗い場、ベンチ |
HP | 丸亀市 |
無し
レオマ宇多津線、綾歌宇多津線、丸亀東線「渡場」から徒歩2分
丸亀東線「御供所児童遊園前」から徒歩2分
どちらの停留所からも近い
丸亀駅から徒歩15分
東汐入川緑道公園は、緑道ということもあり細長くこのように歩道と並行になっています。
上の地点から進むとこのような花壇がありました。
さらに進むと、年季が入ったパーゴラがあります。
またさらに進むと、健康バロメーター広場です。
高さの違う鉄棒があります。
鉄棒の下は砂地が見えます。
さらに先に進むと、道路が緑道を横断すように通っていますが上の続きの緑道です。
そして上の地点からまた先に進むと東屋がありました。
東屋の中は結構広い。
東屋の隣は広場になっていました。
東側の緑道はこんな感じでした。南側の緑道は一方通行の道路に並行して遊歩道がメインの緑道になっています。
東汐入川緑道公園は、丸亀城の北側にある外濠(そとぼり)を埋め立てしてできた公園です。
丸亀城の南側にも外濠緑道公園という、こちらも丸亀城の外濠を埋め立てしてできた公園があります。
せっかくなので昔の地図と、現在の地図を見比べて重ねてみたいと思います。
まずは昔の地図から。
この地図は正保元年(1644年)に作成された、丸亀城 城下町の正保城絵図(しょうほ しろえず)です。
正保城絵図とは
正保城絵図は、正保元年(1644年)に幕府が諸藩に命じて作成させた城下町の地図です。
城郭内の建造物、石垣の高さ、堀の幅や水深などの軍事情報などが精密に描かれているほか、城下の町割・山川の位置・形が詳細に載されています。
国立公文庫舘
この絵地図は、讃岐国 丸亀絵図(さぬきのくに まるかめえず)と言い、堀の高さなど詳細に書かれています。
丸亀城公式HP年表を見てみると、当時の藩主にあたる山崎家治が、丸亀城を再築した後に作成されたものです。
讃岐国 丸亀絵図をみると外濠の外は田地になっていますね。
昔はあのあたりは田地だったのか。
それでは、古今のマップを重ねてみようと思います。
東汐入川緑道公園と、外濠緑道公園の位置はこの辺りです。
現在の丸亀城大手の門から、東汐入川緑道公園までの距離は、現在のマップでおよそ1.2kmあり歩くと大体15分かかります。
当時の道は直線が多いようなので歩くと、また違った時間になるかもしれません。
2022年現代のマップにある、東汐入川緑道公園と外濠緑道公園の位置はこの辺りです。
方位は讃岐国 丸亀絵図と違っていて、それぞれの公園はほぼ真逆になっています。
古今の地図を合わせると
おぉ、ぴったりと合いました。
かなり精密な絵地図が400年近く前の江戸の時代に作成できていたのですね。
正保城絵図は、藩によって数年で作成していました。
讃岐国丸亀絵図は、幕府から元年(1644年)に作成の命を受け1645年には幕府に提出していたようです。
電車も自転車もない時代。
精密機器もない時代。
人間って本当に凄いと思います。