東汐入川緑道公園は丸亀城の外濠だった東汐入川を埋め立て作られた緑道公園です。
東屋、トイレ、ベンチ、鉄棒、砂場、今時珍しい電話ボックスがあり地域住民の憩いの公園です。
※全ての情報は最新ではない可能性があります。お出かけ前に必ず公式情報をご確認下さい。
東汐入川緑道公園

東汐入川緑道公園は、緑道ということもあり細長くこのように歩道と並行になっています。

それでは歩いてみましょう。上の地点から進むとこのような花壇がありました。

美しい花たち。
※ブログは、今年ブログサービスからWPに変更しました。
記事移行には移行サービスもありましたが、記事の数が少ないこともあり手作業で記事の移行を行うことにしました。
そのためこの頃の記事は画像の撮影した季節と、記事に記録している季節が違う場合があります。
さらに進むと、年季が入ったパーゴラがあります。しっかりと年季が入っていますね。

またさらに進むと、健康バロメーター広場です。

高さの違う鉄棒がありますね。

鉄棒の下は砂地ですね。
さらに先に進むと、道路が緑道を横断すように通っていますが上の続きの緑道です。

そして上の地点からまた先に進むと東屋がありました。

東屋の中は結構広い。

東屋の隣は広場になっていました。

東側の緑道はこんな感じでした。南側の緑道は一方通行の道路に並行して遊歩道がメインの緑道になっています。
東汐入川緑道公園は丸亀城の北側にある外濠(そとぼり)を埋め立てした公園です。
丸亀城の南側にも外濠緑道公園という、こちらも丸亀城の外濠を埋め立てした公園があります。
せっかくなので昔の地図と現在の地図を見比べて重ねてみたいと思います。
まずは昔の地図から。
この地図は正保元年(1644年)に作成された、丸亀城 城下町の正保城絵図(しょうほ しろえず)です。

正保城絵図とは
正保城絵図は、正保元年(1644年)に幕府が諸藩に命じて作成させた城下町の地図です。
城郭内の建造物、石垣の高さ、堀の幅や水深などの軍事情報などが精密に描かれているほか、城下の町割・山川の位置・形が詳細に載されています。
国立公文庫舘
この絵地図は、讃岐国 丸亀絵図(さぬきのくに まるかめえず)と言い、堀の高さなど詳細に書かれています。
丸亀市にある年表を見てみると、当時の藩主にあたる山崎家治が丸亀城を再築した後に作成されたものです。
讃岐国 丸亀絵図をみると外濠の外は田地になっていますね。
それでは、古今のマップを重ねてみようと思います。
東汐入川緑道公園と外濠緑道公園の位置はこの辺りです。

現在の大手の門から東汐入川緑道公園までの距離は、現在のマップでおよそ1.2kmあり歩くと大体15分かかります。
当時の道を歩くと、また違った時間になるかもしれません。
2022年マップの東汐入川緑道公園と外濠緑道公園の位置はこの辺りです。
方位は讃岐国 丸亀絵図と違っています。

古今の地図を合わせると

おぉ、ぴったりと合いました。
私の画像編集の腕と、地図会社によっても若干マップの出来が変わります。
というのも地図を拡大、縮小してサイズを合わせていきますが、縮尺は少し違っただけでも出来上がりが全然変わってきますから
そこを差し引いても、かなり精密な絵地図と言えます。
正保城絵図は、藩によって数年で作成していました。
讃岐国丸亀絵図は、幕府から元年(1644年)に作成の命を受け1645年には幕府に提出していたようです。
伊能忠敬は、17年で日本地図を完成させてしまい更に凄い人物なのですが
正保城絵図の場合は地図の輪郭に直線が多く使われているため、城の高さなどの軍事情報と町割、地形がメインの地図だと思います。(個人の感想です。)
すごい労力と頑張りで、数キロ範囲の地図を完成させられる人類って本当に素晴らしい。